雑記帳

読んだり観たりしたものの記録。ネタバレと正直な感想しかありません。

フリートというものがなくなるらしい。

Twitterのフリートという機能がなくなるらしい。

私は基本的にTwitterはPCで見ていたので、その便利さに触れないまま終わることになりそうだ。

今までも、イラストや写真が見れないのがちょっと寂しい程度だったので、世の中の嘆きに乗り遅れている。

でも確かに運営の意図した層はとりこめていなかったよね。というか、狙った層はそんなにSNSに依存していなさそうだから、インスタをしていたらそれ以上使用するツールを増やさないだろうし、そもそもインスタもTwitterもほとんど触らない人も結構いる。
少なくとも私の周りはいわゆる「丁寧に暮らしている」ひとほどSNSをほとんどみていなかったりする。

 

私はというと、Twitterはヘヴィーユーザーながらもフリートはみていないが、インスタのストーリーはタイミングがあえば見ている。

誰が見たかばれてしまうのがちょっと抵抗あるけれども、それはまあ。

 

それはともかくとして、フリートがなくなるということで、ひとつだけ考えさせられてことがある。

それは「1日で消えるということに甘えて言葉を選ばずにインターネットの海に何かを投げるということが普通になっている人もいて怖いな」ということである。

昨今、普通のつぶやきでも語気の強いものが多くて、若干SNSから離れ気味になっているけれど、1日で消えるという心理的ハードルの低さは語気の強さが促進されて怖い部分もあるなあと。

 

1日で消えるものも、あまりたくさんみられなかったものも、いったん海に放たれたらなかったことになるということはないということを、心にとめていきたいなと思いました。

久しぶりに体重計の電池を入れ替えた

最後に体重計にのったのはたぶん一年前。

電池が切れてのらなくなって早一年。

 

快調に増量を続けていた(推定)のですが、ついに電池を入れました。

ちょっと猛烈に腹が立つことがあったので、ダイエットをすることにしました。

ちなみに腹が立った内容と体重に一切関係ないです。

この怒りのパワーを有効活用しようと思ったら、ダイエットが一番かなと思って…。

 

今年の健康診断の時期まで頑張ります。

俺はやるぜ。

更新を頑張った話

ゴールデンウィーク、きちんと毎日何かしらのブログ記事を上げることができました。

 

(3日もアップしてたんですが、消しました。内容に変更があったというか…「他人事だけどショックを受けた話」というものだったんですけれど、ご本人がものすごい速さで立ち直り&相手にやりかえしたので、もうこの記事要らないなと…(笑))

 

ところでゴールデンウィーク最終日にして、ブログの文体を変えてます。

本来「ですます調」の方が書きやすいのですが、ブログってそうではない文体の方が多いので、私も頑張ってみてました。

何度かでてきてしまってますけれど…。

今日は、書きやすい方にしています。

 

ゴールデンウィーク、ごろごろしてましたね。

今年に入ってから、「music」と「basic」があるゲームの「basic」の方をやってたんですけれど、えらいレベル?ランク?があがりました。

話もキャラもよくわからないまま4か月ほどがんばってやっています。

モーションキャプチャーを使用する映像、なぜか画像酔いをすることが多くて、もう片方のゲームはまだできていないんですけれど、いつか挑戦するかもしれません。

 

ブログについては、やはり文章の練習にすごくなるなと感じたので、ゆるく続けていければいいかなと。

てにおはと文脈については、大いに反省するところのあった日々でした。

 

 

 

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観た

※ネタバレと個人の見解しかありません。

※浅いファンの独り言。

 

 

 

 

 

3月にみてきました。

 

最初に思ったのは、

ゲンドウくんよかったね

庵野監督の依代はシンジからゲンドウになったんだな。だからユイ抱きしめエンドができたんだな。

でした。

 

あと!
アスカが辛い終わり方でなくてよかった!!!

 

この映画を観る前、私は世の中の流れと逆行して、ネタバレを漁りまくった。
もちろんみた内容については、ネットでもリアルでも一切口外していない。

 

私はともかくアスカに幸せになってほしいと思っていた。
作品としてどんなに名作に仕上がっていようと、アスカが悲惨な目にあったままのエンドなら私にとっては駄作なのである。


悲惨な目にあうなら観ないでおこうとも思っていた。
他の部分も知ることになっても、アスカの健やかな姿を確認せねば観れない。
悲惨なエンドなら私の中では永遠の未完とすると決めていた。

 

だから本当によかったねえ…と。

 

正直あのままくっつかれてもイラッとするけど(かつて加地さんにもシンジにもイラッとしたので、多分誰であっても駄目)、まあ28歳だとまだ色々起こるよね!
アスカの未来は明るいけどまだまだわからないからね!と受け入れ完了。
浜辺の告白リプライズにイラッとしたことは否めないけど…お気付きかと思いますが、私はシンジのことがそんなに好きではないので…。

 

そういえばネタバレ感想で、カップリングが全部固定された!と嘆いているひともいたけど、私はそんなことないんじゃないかな~と思った。
特にレイとカヲルくん。
シンジはマリと手を取り合ってエヴァをでていった(?)けど、最終的な執着点をみせたわけじゃないし…と。
違ってたら申し訳ないけど、余白ありエンドだと個人的には感じましたよってことで。


それでもってゲンドウとシンジ。
監督が「誰でもいいからとにかく愛されたい」から「このひとを愛し、このひとから愛されたい」に人生がシフトしたから、エヴァンゲリオンの軸もシンジからゲンドウにスライドしたのかなあと。

 

正直、新劇をみるまで、「ゲンドウくん…君の望みは叶わないよ…ユイさんのプライオリティは《愛する人との息子であるシンジ》を生かすことになっちゃってるもん…」と思っていた。
実際、物語の流れについてもそうだったと思う。
シンジが愛を乞う話である以上、妻のユイではなく母のユイが前面にうちだされるのは当たり前だったし。
現実でもあるあるの話だと思う。

 

それが今回、最後の最後でユイが母から妻になった。
びっくりした。

 

物語の心理描写も、明らかにシンジよりゲンドウのそれの方が丁寧に描かれていた。(余談だけど、ゲンドウの心理描写のとこ、すんごいジブリジブリしてるならと思ったら、エンドロールにジブリの方のお名前がたくさんあった。ジブリだった)

 

私はユイのことが苦手だった。
エヴァの中でなに考えてるのかわからなくて怖いトップ2のひとりだったからだ。
人間味が感じられないというか…。(嫌いというわけではない)

最後まで考えていることはわからなかったけど、グッドエンドだったなあ…というのがユイに関する感想。

 

ちなみに、何を考えてるのかわからなくて怖いトップ2のもうひとりは冬月。
こちらは新旧通じて、最後まで何を考えているのかわからなかった…。
わからないのに、淡々と色んなことを遂行しているのが怖かった。
冬月って、最後まで心の交流が誰ともなかったような…強いていえばゲンドウなんだろうけど、お互いの内面に踏み込んではいないし…。
得体のしれない傍観者だったなあというのが、冬月に対する感想。
あのひと、本当に何だったんだろう。


ミサトとリツコとマヤは格好良かったなあ…リツコが残ったなら、この世界は大丈夫。(旧劇までだとこの感想はうまれなかったな)


話はちょっと戻るけれど、うまくいっていない父子、亡くなった妻を追い求めすぎる父、愛を欲しがる息子、カセットテープというと、1960年代のイタリア映画「天使の詩」を思い出す。


そしてマリ。
マリに関しては「大勝利だね」と思った。

 

映画をみるまえにこちらの考察を読んで、なるほどおおおと目から鱗が落ちまくったんですが、映画をみても「これめっちゃあってるわ…すごいわ…」と思った。

いや、映画の中で明言されなかった以上、本当のところは監督にしかわからないんだろうけれど、私にはこの考察がしっくりきた。

 

moon.ap.teacup.com

で、これを踏まえた上での感想は「マリすごいな。これでシンジと結婚までいったら、ユイの遺伝子と自分を繋げられちゃうんだよ」だった。


気持ち悪くてすみません…。
いや多分シンジのこともシンジとして好きだろうと思うんだけど、こっちの感想が先に来た。
マリ、大勝利。

 

映画をみていて唯一の不満は、エンドロールが長すぎたことですかね…。
途中から余韻もなにもなくなり、まだかな…まだあるんか…と思ってしまった。
すみません。

 

あと最後に。
考察は色々あれど、ただひとつ確かなことは、ビューティフルボーイは庵野監督だったってことですな。
あんなにピタリとくるとは。

とりあえず3日坊主にはならないよう頑張ってみる。

行くはずだった舞台のチケットも3枚ほど返金対象となってしまい、予想以上に暇な連休を過ごしているので、感想を書こうにも題材が少ない。

 

エヴァンゲリオンの感想はまだこねくり回している最中。

 

連休は本を読んだり(ただちょっと感想を書くのをためらう内容なのでブログのネタにはならない)、ソシャゲをせっせとやりすぎてプレイヤーのレベルが上がりまくったりしている。

 

とりあえずそんなところで。

明日は頑張ってエヴァンゲリオンの感想を書きあげたいな…。

 

 

 

死なないオタク

私は死なないタイプのオタクである。

 

もちろんこの場合の死には(概念)がつく。

 

最近(でもないけど)、萌えの常套句として
「しんどい」
「村が焼かれた」
「情緒をめちゃくちゃにされた」
「突然の死」
「初見さんの新鮮な悲鳴は体に良い」
というような表現をよくみかける。

 

なるほどな~とか楽しそうだな~とは思っているが、あまり自分のこととして考えられたことがない。

皆それで楽しそうなのに…と思っていたある日、自分の気質に気がついた。

 

私は推しに新規絵とか、新たなイベントで主役をはるとか、舞台で主演するとか、ともかくいいことがあると、元気になってしまうタイプのオタクなのだと。

しかも情動が天元突破しないオタクである。


推しにいいことがあると、定時であがってワインとちょっといいチーズの盛り合わせを買って帰るのを楽しみに、午後の仕事をがんばってしまうのだ。

新規絵をみると、「ありがたい寿命が延びた」と思って「わーい」で終わってしまうので、いまどきの感性とはずれているのかもしれない。

 

私もしんどい表現をした方がいいのだろうかと思った時もあったけれど、自分にとってなかなかにしんどかったのでわりとすぐにやめた。

 

お互い表現は違えど萌えは同じと思い、楽しくオタクをしていたある日、それはきた。

 

 

とある日

「○○さん(私のこと)、大丈夫かな」
とフォロワーさんが呟いていた。空リプってやつだろうか。

 

その日、私の推しキャラの新規絵があがったのだ。
寿命が半世紀のびますううというくらい、とてもとても素晴らしいイラストだった。

 

おそらくその時の最適解は、「無事死亡」か、うめきをもらすか、錯乱した様子を呟くというものだったと思われる。

 

しかし私にはそれができなかった。
なぜならデパ地下でケーキを購入し、「なんかプレートつけて下さい。あ、即時の文字入れはむりですか…じゃあこの汎用できるバースデープレートをつけてください」と、楽しく店員さんとキャッキャッしていたからである。

このテンションで今からのたうち回るのは無理だし、狂った感じでケーキをアップするのも今の心境とは違うなと感じた。

 

なので普通に「ケーキ買ったよ~」とリプした。
そうしたら、そこで会話が終わってしまった(笑)。

 

しかたない。悲鳴がなくてすまんの…。

エモに欠けた人間なのかもしれない…。


それからはTwitterでこの手の呼び掛け(空リプ?)られることもなくなったけれど、萌えについてはお互いまあまあ話せている。
良かった。
ノリの悪いやつだとギスギスしてしまうかなあと心配だったので…。
お互いを尊重できて良かった。

 

そして、死なないオタクでいるのには、もうひとつ理由がある。

 

推しの慶事をネガティブな言葉で表現したくないな~という気持ちがあるからだ。
(※個人の見解です)


なんとなくネガティブな言葉ばかりつかっていると、チケット運なども悪くなりそうな気がして、嬉しいことはなるべくポジティブな表現でお祝いするよう心がけている。
これは完全に気持ちの問題なので、実際はのたうちまわっているひともバンバンチケットがとれていると思う(笑)。
なんとなくの話なので流してくださいましまし。

 

そんなわけで、この連休いいことがあったので今夜もお寿司をテイクアウトする予定。

 

推し、おめでとう。
おかげで寿命がのびたよ。

連休中はできるだけブログを書いてみようと思った話

※そんなに深刻な話でもない。


思い立って、連休中はできるだけブログを書いてみることにした。

できるだけというのは、毎日数記事とかではなく、できるだけ毎日、無理なら隔日くらいのペースを指している。

もともと定期的に文章を書かないので、多分それが精いっぱいだろうと思われる。

前回の記事が「名探偵ピカチュウをみた」なあたりでお察しである。

 

書こうと思ったきっかけは、単純に自分の文章構成力の低下をひしひしと感じたから。

 

少し前にTwitterで、とある大作家がTwitterをやらない理由というものを見かけた。

その時はなるほどねーと感じたくらいだった。

その呟き自体も忘れた頃、シンエヴァンゲリオンを観た。そして久しぶりにブログを書いてみようと思った。

最近は忙しくてなかなか時間が取れなかったけれど、ポチポチメモ帳に感想を書き溜めていた。

しかし上げる暇もなく一か月ほど経過し、昨日やっとメモ帳を見直すことができた。

 

読んで最初に思ったことは、「なにこれ」だった。

 

ひとつの文章の間に2つも3つも話題がとっ散らかっていて、文章として体をなしていない。意味もわからない。わからないまではないか。

わからなくもないけれど、本来は文を分けるべきところを無理やりつなげているので読みづらいし、なんだか意味もおかしくなってしまっている。

なにより日本語としてたいへん美しくない。自分でも読んでいてストレスを感じた。

ほんの数行しかなかったのにである。

 

思い当たることと言えば、最近仕事のメール以外ではTwitterでしか文章を書いていなかった気がする…ということかなと。

Twitterといえば、140字の中にいかに「エモ」を詰め込むかということが優先されている気がする。むしろ冷静に読むと文章としては若干壊れている方がバズっているような気もする。(※個人の見解です)

思えばTwitterを始めてから、ブログ(ここ以外のがあった)とか昔懐かしすぎてログイン情報も忘れかけているmixiなどで、まとまった量の文章をすっかり書かなくなっていた。

 

まずい。

このままではエモを吐き出す日本語もどきしか書けなくなってしまう。

割と本気でそんな恐怖を覚えた。

 

なので、リハビリのためにブログをできるだけ書いてみることにした。

一応書いておくと、Twitter上ではきれいな文章を保てている方もたくさんいて、必ずしも日本語が崩れるということではないと思う。ただ私は崩れたなと感じたので、とりあえずがんばってみる。

140字で詰め込む文化もすばらしいし。短歌俳句からつづく、決められた文字数のなかに情景や思いを込める文化は美しい。

 

目標は、ゴールデンウィーク中にシンエヴァンゲリオンの感想を書くことかな…。

書けますように。

そしてこのブログを書いただけで飽きませんように。(フラグ)